Photo by Sami Maukonen
マーリア・ヴィルッカラ
現代アーティスト
第7回<前編>
私の仕事は、言葉と言葉の間の沈黙にも注意深く耳を傾けること
現代アーティストとして、自然と人間の共存の歴史や、暮らしの中に息づく人々の記憶や伝説をテーマにインスタレーションを制作、国際的に活躍しているマーリア・ヴィルッカラさん。
日本でも大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ(2003年〜)や横浜トリエンナーレ(2005年)、水と土の芸術祭(2009年)、瀬戸内国際芸術祭(2013年)、北アルプス国際芸術祭(2017年〜)などで作品を発表している。
人々の生きた痕跡をやさしく浮かび上がらせるような詩的な作品に惹かれ、いつかインタビューができたらと思っていた。この夏、フィンランドで秋から始まる回顧展の準備をしていたマーリアさんを訪ね、作品づくりのこと、幼少期のことなどのお話を聞かせていただいた。
マーリアさんの作品にはじめて触れたのは、大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレで公開されている「ブランコの家」(HOUSE OF SWINGS, 2012)だった。この作品は、新潟県十日町桐山地区の集落に佇む古民家を、そのままインスタレーション作品として仕立てている。
――家の中に足を踏み入れると、玄関の近くでひとつのブランコが揺れている。誰も乗っていないのに、誰かの気配を感じさせるかのように、そっと何かを物語っているように。
奥の部屋に進むと、ほの暗い光の中でいくつものブランコが揺れている。ブランコの上には、水の入った美しいガラスの器。ブランコの上なのに、グラスの中の水は少しも揺れることなく、障子の模様を美しく映し出している。
天井に並んで浮かぶのは、この家に代々暮らしてきた人々の気配を思わせるような、たくさんの草鞋。
この作品は、かつてこの家に住んでいた三人の姉妹の思い出をモチーフに作られた。マーリアさんはこの家の持ち主を訪ね、子ども時代の話を聞いた。雪が深く、冬の長いこの地域で、姉妹たちは幼い頃、家の中にあったブランコで遊んだのだという。
マーリアさんは、この作品について、こんな風に語ってくれた。
「まず、ここに住んでいたご家族が、私を信頼してくれたことにとても感謝しています。越後妻有アートトリエンナーレをディレクションしているアートフロントギャラリーは、私のプロジェクトをサポートするために、いつも完璧なチームを作ってくれます。彼らは、私たちの間で交わされた会話を、とても丁寧に訳してくれました。
私の構想は、すでに用意されているようなアート作品を作ることではなく、その家そのものの歴史を目に見えるようにすることだと伝えました。その家にとって私は来訪者だということは、よくわかっていました。私は、家に自分自身の物語を語ってほしいと思ったのです」
――2階に上がると、藁で編まれた雪靴が、ゆっくりと古いミシンを踏んでいる。かたん、かたん、と懐かしい音とともに白壁には機織り機のような影が映し出される。まるで古いおとぎ話の中に入り込んでしまったように。
一方、黒い土壁からはルネッサンス期のイタリアの絵画が浮世絵とともに顔を覗かせ、時間や場所が曖昧になるような不思議な感覚に襲われる。
「不思議なことなのですが、この家に来たとき、異国のエキゾチックな感じではなく、フィンランドの人里離れた村で経験したのと同じような印象を受けました。この家の風景は、自分がよく知っているイメージと重なるような気がしたのです」
まるで物語を語りかけるようなマーリアさんの作品は、そこに住んでいた人々の記憶や生活を想起させる。その場所の歴史や、そこに住んでいた人々の声に耳を傾け、やさしいまなざしで捉えた彼女の作品は、まさにその場所と共鳴する。
インスタレーションを制作する場所を訪れたとき、まず何を見ますか? 特に目に見えないものや聞こえないものを、どのように感じ取ろうとしますか? そう尋ねると、彼女はこんな風に答えてくれた。
「私は自分に見えているものと、見たくはないものを扱います。何が起きているのか、そして、何を知りたくないのか。
作品を作ることは、分析し、反応するための私なりのやり方なのです。生きていくための方法なのです。
でも、日本でのインスタレーションは、距離や文化のため、少し異なります。私は“自分が訪問者である”ことを、心に留めてきました。その地域の人々、家とその歴史、人々が残した痕跡に、注意深く耳を傾けるよう努めてきました。
私の仕事は、言葉と言葉の間の沈黙にも注意深く耳を傾けること」
北アルプス国際芸術祭に出展された、「何が起こって 何が起こるか」(WHAT HAS HAPPENED / WHAT WILL HAPPEN, 2020-2021)も、その土地の伝説と歴史に基づいた美しい作品だ。長野県大町市の中綱湖を中心に展開されたインスタレーションは、その湖一帯での体験が一つの作品となる、スケールの大きなものだった。
――深い森の影を映す湖に、黄金の球体を乗せた木の舟が浮かび、湖畔には水と塩をテーマにした二つのコテージがある。どこからともなく、森の奥から鐘の音が響いてくる。そして、コテージを繋ぐ道を歩いていくと、いつの間にか辺りが霧に包まれている……。
ここには、地震で湖に流された寺院の鐘の音が聞こえるという古い伝説がある。また湖畔には、江戸時代に開かれた「塩の道」が通っているのだという。
まるで古い伝説が、まさに目の前に甦ってきたかのような作品の、まずはどこに目を留めてほしいかを伺った。
「もちろん一番大切なのは、風景です――それは周囲の環境であり、人々が普段は注意を払わないものでもあります。私にとって大切だったのは、かつてこの場所に生き、働いていた人々の不在を感じることでした。
私は、人々に立ち止まって、周囲を見回してもらいたかったのです。
……そして、実際、来てくれた人たちは、この場所を注意深く見つめていたと聞いていますよ」
これらの作品は、北川フラム氏が手がける芸術祭のために制作されたものだが、こうしたアートをきっかけにした地域づくりのプロジェクトについて、マーリアさんはどのように感じたのだろうか。
「北川フラムさんのアートプロジェクトの社会的な側面は、非常に重要なものです。彼は地元の人々に深い敬意を持っているのと同時に、非常に高い芸術的レベルで考えています。
――私が日本を訪れたのは、ほとんどが越後妻有アートトリエンナーレのアートプロジェクト関連のものです。とても貴重な経験でした。北川フラムさんは、私に一番素晴らしい場所で仕事をする機会を与えてくれたのです。蓬平のコミュニティが、トリエンナーレの最初の作品です」
――「ファウンド・ア・メンタル・コネクション3 全ての場所が世界の真ん中」(Found a mental connection 3 Every Place is the Heart of the World, 2003)と名付けられた、新潟県十日町、蓬平集落の作品は、イスタンブール、ヴェネツィアのビエンナーレから続く3部作の最終作にあたる。この地域の伝統的な山笠をシェルターに見立て、集落の家々のどこかに、自然な形で設置した。山笠は、“保護するもの”として、夢や思想、恐怖から守る意味合いを持つが、裏返せばパラボラアンテナのようにも見える。夕暮れになると、山笠にはうっすらと灯りが灯り、集落はあたたかな黄金の光に包まれる。
「私たちが地元の人々とどれくらいうまく協力できたのかは今でもわかりませんが、みなさん、本当によく理解してくれたんです。まるで自分の家にいるみたいでした。――先ほども言いましたが、アートフロントギャラリーは、いつも私にドリームチームを組んでくれるんです。
私たちは、まるで同じ言葉を話しているようでした。蓬平を初めて訪れたとき、北川さんから、一番大切なことを学びました。彼は、“全ての場所が世界の真ん中”と言ったのです。すべては、自分の視点と、そこで何を見つめるかによるのです。私の中で何かが変わり、アートの世界を見る目も変わりました。
みなさんと一緒に語り合って、お酒を飲みました。作品を設置させてもらった家の人たちは、山笠はほとんど同じものなのに、『うちの山笠が一番だね』『いや、うちのが一番だよ』なんて楽しそうに言い合っていて(笑)。とてもあたたかい時間でした」
記事は<後編>に続きます。後編では、子ども時代や、ラップランドでの夏の暮らし、2024年にフィンランドで開催された回顧展についてもお聞きしました。