Photo by Satsuki Uchiyama
ピヴェ・トイヴォネン
画家、イラストレーター
第10回<前編>
“自分は何でも好きなことができる”という強い気持ちが、今の私を作った
2024年夏、太陽のようにきらきらと輝く笑顔で、迎えてくれた画家のピヴェ・トイヴォネンさん。しかも取材場所は、夏のフィンランドらしく、海に浮かぶボートの上でした。ピヴェさんは旅が好きで、セーリングが好きで、どこでも絵を描くといいます。私たちが彼女と出会ったのも、ピヴェさんが個展のために来日していた、まさに日本の旅の最中でした。そんな彼女がどのようにして画家になったのか、アトリエでの制作などについてお聞きしました。
――絵を描くことは昔から好きだったのでしょうか。
P ええ、そうですね。子どもの頃から絵を描いたり、ものを作ったりすることが好きでした。絵を描くこと以外にも、実家が農家だったので羊が大好きでしたし、海が近かったのでボートにもよく乗っていて、セーリングで群島を巡るのが好きでした。何より外で遊ぶのが好きで、自然の中にいるのが好きな子どもでした。
――どのようにして画家になったのでしょうか。
P 私には兄が2人いて、兄たちが家業を継いでくれました。幼い頃から父に「ピヴェはいつでも好きなことをやればいいんだよ」と言われて育ち、その言葉のおかげで、「私は何でも好きなことができる!」という強い心を持って、これまでずっと何にでも挑戦することができたのだと思います。
と言っても、初めから画家を目指していたわけではなく、最初は美術教師になろうと思っていました。ヘルシンキ芸術デザイン大学(現・アアルト大学)で、美術教育を専攻していました。もちろんアート制作の授業も受けていたので、絵を描いたり、彫刻をしたり、さまざまな技法を学びました。卒業後は2年間、実際に美術教師として働きました。
2年間働いたのち、小さな島に移住したんです。とても美しい場所で、そこで暮らすことは幸せなことでしたが、人口が少なく、非常に小さなコミュニティだったので、美術教師の職に就くことができませんでした。するとある日、シェアハウスで一緒に暮らしていた女性アーティストの方に、「あなたもプロのアーティストになったらいいじゃない?」と言われたのです。そうして、私はアーティストになりました。
アーティストとしての道を歩み始めて、アートを作っている自分は自由であることに気づきました。その後もさまざまな土地で暮らしましたが、再び美術教師の職に就くことはありませんでした。今でもアトリエでは週に1回、地元の方に教えていますが、教師だけを続けることはできません。
私にとって、アーティストとして制作を続けることが何より大切です。アート以外にもクライアントワーク、公共作品など、その都度さまざまなプロジェクトに携わりましたが、アート制作がすべての中心にあります。こうしてアートともに生きるようになり、気づけばあっという間に20年という月日が過ぎていました。
私は水彩でアート作品を描きます。
時々イラストレーションも描き、
時々美術教師として皆さんに教え、
時々パブリックアートを作ることもあります。
さらに本の執筆をすることもあります。
でも、私のアイデンティティはアートなのです。
P クリエイティブなことに限らず、ほかにも好きなことはたくさんあります。一番興味があるのはセーリング。ほかに、さまざまな土地を旅したり、自転車で巡ったり、カヤックやスケートも大好きです。


――船の上でも絵を描くということですが、絵を描く道具はいつもこのくらいコンパクトなのでしょうか。それとも旅の間だけですか。
P ええ、普段もこのくらいです。2本の筆と水彩絵の具。あとは小さな紙に、ペンと鉛筆くらい。旅をするのが好きなので、このくらいのコンパクトな方が身軽でちょうどいいんです。

――2024年の日本滞在中も絵を描いていたのでしょうか。
P ええ、もちろん! 日本に行ったのは、2024年2月と5月。特に印象に残っているのは、5月に愛媛県の弓削島(ゆげしま)を訪れたときに見た風景です。このとき私は大阪で開催される「北欧フェア2024」に招待されていました。この機会に日本を旅してみたい!と思い、尾道で4日間自転車を借り、瀬戸内海の島巡りをしました。弓削島には、因島からフェリーに乗って行きましたね。とても小さな島で、夜空には星が瞬いて、大変美しい場所でした。
そこにはカエルもいました。私のアトリエ周辺でもよくカエルを見かけるのですが、まったく同じ。鳴き声まで一緒でした。まさに私にとってなじみのある景色。でも日本は背景の山々が高いので、そこがフィンランドと違うところですね。
こちらが弓削島で描いた絵です。

P 朝5時に目が覚め、一人で外に出て、まだ暗い空を眺めながら、小さなドローイングを描きました。そのドローイングをもとに、翌日、作品を仕上げました。
心惹かれる景色と出会ったときには、いつも簡単なスケッチをして、あとは心にその風景を焼きつけます。そのわずかなスケッチと心象風景をもとに、水彩で作品を描いていきます。サウナの絵(サウナ好きのピヴェさんが、サウナを訪れては、描き続けているシリーズ作品のこと)を描くときも同じです。
――ほかに日本を旅して印象に残ったことはありますか。
P それはもうたくさん! 最初に感じたのは、心地よさですね。日本の皆さんはとてもフレンドリーで親切。安全ですし、滞在中、特に困ったことはありませんでした。東京や大阪のような都会と、弓削島のような自然あふれる場所とでは、雰囲気がまったく異なるのも面白かったです。弓削島は本当に何もなくって(笑)。だからこそ行ってみたいと思いましたし、実際とても美しい場所で、感動しました。
――先ほど、ご実家が農家だというお話がありましたが、生まれ育った町、サウヴォ(Sauvo/フィンランド南西部にある町。ヘルシンキから車で2時間、トゥルクから車で40分の群島エリア)に、今でもアトリエがあるのですよね。お住まいのあるヘルシンキ*にも、アトリエがあるのでしょうか。
*インタビュー時はヘルシンキ在住。最近、トゥルク近くのルイッサロ(Ruissalo)に引っ越したばかり。
P ヘルシンキのアパートメントには、机とパソコンがあるくらいで、特別なスペースはないのですが、サウヴォには広いスペースがあるので、絵を描くときは基本的にそこで制作しています。ヘルシンキでも必要があれば、数ヵ月単位でレンタルスタジオを借りることもありますが、家賃も高いですし、私はセーリングをしたり、旅に出たりと、1ヵ所に留まることが好きではないので、ヘルシンキではアトリエを持たないようにしています。


――サウヴォにはどのくらいの頻度で通われているのですか。
P 基本的に毎週訪れています。月曜日に行って、木曜にヘルシンキに戻ってくるというペースです。そこでは絵を描きながら、絵画のクラスも持っていて、火曜日は地元の人たちに教えています。
ギャラリーも併設していて、夏の間は毎週金曜日にオープンしていますよ。というのも、アトリエとギャラリーは、実家の農場の敷地内にあって、家族が毎週金曜日に精肉、エコロジカルビーフを販売していてお客さんが訪れるので。金曜日以外でも個別に連絡をもらえれば、スタッフが対応できるようにしています。
――サウヴォは森に囲まれた緑豊かな土地で、バルト海も近いそうですね。
P ええ、アトリエやギャラリーは田舎の美しい田園風景の中にあります。この時期(6月)は特にとても美しく、木々が緑で生い茂り、花が咲き誇る季節です。草原には牛や羊が放牧されています。
私は夏の間、森にテントを持っていき、一晩を明かすことがあります。ただ寝るためだけに森へ行くのです。夫のマルックや愛犬ルルと一緒に行くこともありますが、基本的には一人ですね。
――ピヴェさんのアトリエを紹介する映像を見たことがあるのですが、そこにかわいいルルちゃんも映っていました。今はどちらにいるのでしょう?
P ええ、ルルはいつも私のそばにいるのですが、私たちは明日からセーリングに出るので、実家の母と一緒にお留守番をしてもらっています。というのも、彼女は心臓が悪くて、船の旅は体に負担がかかるので。
――それほど美しい自然に囲まれて育って、今でもアトリエに行けば自然が身近にある暮らしの中で、どのようなときに改めてそれらを絵にしたいと思うのでしょうか。
P もしかしたら私は自然に対して少々ロマンチックなところがあるかもしれません。日本の弓削島の星空の絵を描いたときのように、自然の美しさを強く感じたときです。それが星だったり、雨だったり、月明かりだったり。自然の瞬間をとらえたい。そのような場所には、一人で行きたいと思います。誰かを誘ってとか、誰かを連れていきたいとはあまり思わないのです。そういった意味でも、さまざまな土地へ連れて行ってくれるセーリングボートは、私にとってなくてはならない相棒です。カヤックもそうですね。
多くの人は、自然の壮大な景色、美しい夕陽などに遭遇したら、カメラで撮影しますよね。でも私はあまりそういうやり方が好きではなくて、手を動かし、絵にすることで、アイディアをとらえたいと思います。それによって、自分がここにいる!ということを強く感じたいのです。たとえば、目の前にある花を描く場合、その花に自分の時間を捧げて、愛を注ぐことになります。描くことに集中しているうちに、花との対話が生まれるのです。私はそんな風に自然の中で過ごすのが好きなのです。
記事は<後編>に続きます。後編では、ピヴェさんが力を入れている「サウナシリーズ」の作品を中心にお聞きします。