Finnish Artist

Terhi Ekebom

テルヒ・エーケボム

アーティスト、イラストレーター、グラフィックデザイナー

第3回<前編>

悲しみと向き合い、静かであたたかな希望へと導く物語

2023年2月に翻訳出版された、絵本『おばけのこ』(求龍堂)。フィンランドのイラストレーター、アーティストのテルヒ・エーケボムさんによる、静かで美しい絵本です。

暗く深い森のそばに、一人引っ越してきた女性。その森には、かつて貧しい家の子どもやお年寄りが捨てられたという言い伝えがありました。心に悲しみを抱えた彼女は、ただ眠るように毎日を過ごします。ところがある日、暗い森の中から恐ろしいうめき声が聞こえてきます。光を求めてさまようおばけたちがうめく、暗い森と向き合うことを決意した女性の前に、小さなおばけの子どもが現れて……。

テルヒさんの作品としては初めて日本で出版された、『おばけのこ』を中心にお話を聞きました。

『おばけのこ』(テルヒ・エーケボム/著 稲垣美晴/訳 求龍堂)より。
日本の姥捨て山を思わせる言い伝えが残る森。

――この『おばけのこ』の冒頭には、古今和歌集からの「わがこころ なぐさめかねつ さらしなや をばすてやまに てるつきをみて」という和歌が載せられていますね。

フィンランドの絵本に、日本の和歌が載っているのを見て驚きました。この和歌はいつ知ったのですか? なぜこの絵本の冒頭に引用しようと思ったのでしょう?

T  この本の下準備をしているとき、この歌と出会いました。私は実はそのとき闘病中で、孤独を感じていて、自分がまるでひとりぼっちになったような気がしていた時期だったんです。慰めてくれる人もいなかったし、自分が何かに慰められるとも思えませんでした。

病気になったことで、今までと異なる人生のフェーズに入ってしまったように感じました。慣れ親しんでいたそれまでの生活に別れを告げて、まるで違った世界に入らなくてはいけなかったんです。子どもを望んでいましたが、医師から命にかかわる可能性も伝えられていたので、そのときは諦めざるを得ませんでした。それまで持っていた夢もすべて消えてしまって、どうやって慰めを見つけたらいいか分かりませんでした。

そんなときこの和歌を見つけて、まさに自分の気持ちと同じだ、と思いました。そして私よりずっとずっと昔に、同じように悲しみに苛まれている人がいたことに、とても勇気をもらったんです。

――この絵本は辛いできごとをきっかけに作られたのですね。

T  この本のテーマは、「人生の逆境に陥ったとき、どうやって乗り越えるか」ということです。この絵本に出てくる女性と小さなおばけの子どもは、二人とも難しい局面にいるわけですね。実は二人の主人公が本の中で出会うことは、自分でも予期していませんでした。人間の女性は基本家の中で暮らしていて、そこが彼女の小さな世界になっていますし、一方おばけの子どもは森の中にいます。それぞれが違う世界に住んでいる。でも、この二人は出会った。そして出会ったことによって、二人ともが良い方向に導かれていったんです。

『おばけのこ』(テルヒ・エーケボム/著 稲垣美晴/訳 求龍堂)より。
ある日女性のもとにやってきた小さなおばけの子ども。二人はだんだん心を通わせるようになって……。

――物語がどう進んでいくのか、あらかじめ決めていたわけではないんですね。

T  そうですね、これは私のスタイルなんです。物語が自ら進んでいくように……、そうね、生きているように描きたいから。だから早く描くことができなくて、すごく遅いんですけど。そしてまだ、そんなにたくさんの作品はないんです。でも自分で描くときはできるだけ、このスタイルは守りたいと思っています。もちろん誰かと一緒に作るときには、いろいろ調整しますけどね。

例えばパブリックアートとして、保育園や病院のために作品を作るときは、前もって何を描くのかと依頼主から聞かれたら、「その地域の植物や動物、子どもたちが遊んでいる様子を描こうと思っている」と伝えます。でも、子どもたちがどんなポーズを取っているかなどは決めないで、そのとき生まれてきたものを描くんです。「みんな生きている」ということをいつも大切にしているんですよ。

ガラスに絵を描き模様を入れるというアート作品を作ったときには、見た人から「この植物、動いてるみたいだね」と言ってもらえたことが、とても嬉しかったです。

『おばけのこ』(テルヒ・エーケボム/著 稲垣美晴/訳 求龍堂)より。
おばけの子どもの仕草がたまらなく愛らしい。

――この絵本でもおばけの子どもに足が生え、手が生え、だんだん人間の姿になっていって、まるで生きている存在のように見えてきます。

主人公の女性も、悲しみによって最初は体も心も動かないような状態で、じっと眠るように生活していますが、だんだん生きることを取り戻していく様子がとても丁寧に描かれていますね。

T  まさにそれが狙いだったんです。おばけの子が生きた人間のようになっていく。女性の方も、少しずつ楽しいことを見つけていく。私自身も、そのときは子どもを持つという夢は諦めましたが、他のところで別の喜びを見つけることができました。「悲しみを乗り越える」というのがこの本のテーマです。生きている、楽しいものを見つけていくのが大切なんですよね。

動かない心が少しずつ動いていく
小さなおばけの子が少しずつ人間らしくなっていくように

T  『おばけのこ』の中には、暗い森の中にずっと留まっている大きなおばけも出てきます。そのおばけは凍りついてしまって動けなくて、自分の苦しみを乗り越えられないでいるのです。でも、生きるということは、流れていくこと。どんなに悲しいことがあったとしても、この流れを止めないこと。たとえ死んでしまったとしても、明かりに向かって暗闇の中に留まらないようにしたいという願いがあるんです。

トーベ・ヤンソンの「ムーミン」シリーズに、「モラン」というキャラクターが出てきますよね。モランも冷たくて孤独なのですが、彼女には誰かと触れ合いたいという心がまだ残っています。この本の大きなおばけは、芯から凍っていて、もう誰とも触れ合いたくなくなってしまったんですね。

『おばけのこ』(テルヒ・エーケボム/著 稲垣美晴/訳 求龍堂)より。
森の中で凍りついたままでいた大きなおばけ。

――トーベ・ヤンソンからは影響を受けていると思いますか?

T  フィンランドの人たちは、トーベ・ヤンソンの作品に触れて育っているので、きっと自覚していないところでも影響を受けていると思います。モランという存在は面白いと思っていました。私たち北欧に住んでいる者たちにとって、寒さとは本当に恐ろしいものなんですよ。

――一枚一枚丁寧に描き込まれた絵が美しいですね。ワンシーンごとに枠が描かれていますが、それはなぜですか?

T  これには二つの理由があります。一つは、枠を描くことによって、その向こう側は現実とは別の世界、何が起こってもおかしくないファンタジーの世界だという意味を持たせているんです。それは裏を返せば、その枠の内側の世界では「そこで起こることは本当のこと」だということです。

もう一つは、この物語の世界から少し距離を取りたかった、物語の世界を少し遠く感じられるようにしたかったというのがあります。というのは、この本のテーマは個人的な悲しいできごとから始まっているので、それを公にするには勇気が必要だったんです。でも、枠の中に描くことで、遠い世界として描けば、そうした難しいテーマを扱うことができるのではないかと考えました。この枠は、取ってしまおうか迷ったこともありましたが、結局できなくて、自分でもなぜこのように描いているのか考える必要があったんですよ。でも結果、うまくいったと思います。

――物語の最後に、おばけの子どもが自分の名前を書こうとするシーンがありますね。このシーンがとても印象的でした。ここで物語を終わらせたのには、どんな意図があったのですか?

T  名前というのはとても大切なものです。名前があることによって、「あなた」が「あなた」として他の人に存在する、「あなた」が「あなた」として認められますよね。最後に名前を書こうとしたところで終わらせたのは、この後どうなるか、読者が自由に考える余韻を残したかったのもあります。また、自分自身でもきっちり決めないでおきたいという気持ちもありました。はっきり名前をつけてしまったら、この後このおばけの子が成長して、いろいろなことが起こる可能性も出てくるかもしれない。それを私自身が見る勇気があるかどうか、そのときはわからなかったんです。でももしかしたらいつか、続きの物語を書けるかもしれない。そういう余白も残しておきたかったんですね。

――この絵本を読み終わったとき、少し泣いてしまいました。なぜ泣いてしまったのか自分でも分からないままに。とても心に迫ってくるラストでした。

T  それは嬉しいです。なぜかわからずに泣くというのは、自然な反応ですよね。この本を作ることは私にとって、生まれ変わるような経験でした。つらいこと、悲しいことを乗り越えてきれいになれた、と感じられるできごとでした。ほしいと思っていた子どもはそのときは生まれなかったけれど、その代わりにこの本が生まれたんですよ。

『おばけのこ』

テルヒ・エーケボム/著 稲垣美晴/訳 求龍堂

「光を求めさまようおばけたちがひそむ暗い森――。そのそばで一人さみしく暮らす女性のまえに、小さなおばけのこがあらわれた! 『学校にいきたかったの』というそのこは、少しかわっているけれど、かわいくてチャーミング。闇をたくさんのみこんだおばけをたすけるために、ふたりはいっしょに森の中へ!」

<後編>では、テルヒさんにとっての「森」について、コミック、パブリックアートの仕事、日本文化への興味などについてお聞きします。<後編>はこちらから >>

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