Finnish Artist

Virpi Suutari

ヴィルピ・スータリ

映画監督

第2回<前編>

アルヴァ、アイノ、エリッサ。

美しいデザインと三人の“アアルト”の生き方に迫る

フィンランドの世界的建築家でデザイナーのアルヴァ・アアルトの人生と、共に仕事をし、共に生きた二人の女性、そして彼らの作品を巡るドキュメンタリー映画『アアルト』が10月13日から全国公開されます。来日した、監督のヴィルピ・スータリさんにお話を聞きました。

アルヴァ・アアルト(1898−1976)
建築にとどまらず、家具やプロダクトのデザインなど多岐にわたって活躍した20世紀を代表する建築家の一人。

――監督と、アアルト建築との出会いについて、まずお聞きしたいと思います。監督は幼い頃に、ロヴァニエミの図書館で午後の時間を過ごしたことがアアルト建築の虜になるきっかけとなったとおっしゃっていますね。そのときの思い出を聞かせていただけますか? 

V  私の故郷は北極圏に近い、ラップランドのロヴァニエミという街なのですが、1970年代の私がまだ子どもだった頃、凍えるような冬に行けるようなところと言えばまず図書館でした。ロヴァニエミの図書館はアアルトの建築として知られていますが、隣には「ラッピアハウス」という音楽アカデミーやホールがあり、そこもアアルトのデザインです。私はそこでピアノのレッスンを受けていたんです。

学校が終わった後、ほとんどをアアルトの建物の中で過ごしました。サンドイッチなどを持ってきて、本を借りて、ピアノのレッスンに行って、それが終わる頃父が迎えてきて。私の午後は、アアルトとの時間でした。

私は特に図書館が好きでした。美しい革の椅子、真鍮で作られたランプ、扇形をしているメインホールの天井の窓。その天窓からは、冬、日が昇らなくても青い自然の光が美しく入ってきました。図書館を作り上げる素材から、贅沢さやあたたかみを感じました。当時個々の家庭にはまだそれほど贅沢な家具はない時代で、私の家も質素でしたが、図書館は私を贅沢な気持ちにさせてくれたんです。そして、私は街の一員として、この美しい場所のオーナーの一人であるという気持ちになれました。

そのときから、私はアアルトに恋をしていたと言っていいと思います。

そして大人になり、映画制作の経験もたくさん積んだ今、そろそろアアルトの映画を作ってもいい頃かと思いました。アアルトはご存知の通り、フィンランド人皆が知っている存在です。生半可なことはできません。でも今であれば、自分なりのリサーチをして自分なりの意見を持った映画ができると思いました。

ロヴァニエミ市立図書館 1965年 
隣の敷地のラッピアハウス(1976年)はアルヴァが死去する前に完成した最後の建物
Photo by Satsuki Uchiyama
ロヴァニエミ市立図書館の館内 
Photo by Satsuki Uchiyama

――素敵な子ども時代を過ごされたのですね。

V  子どもの頃の記憶は、この映画の核となっているものです。アアルト建築に私が抱いた感覚、ある種の愛だと思いますが、それがこの映画の中にも感じられるといいなと思っています。

――さきほどおっしゃったように、アアルトは世界的な建築の巨匠で、これまでたくさんの関連書籍も出ていますね。映画を作るときは、これまで触れられてこなかったことを描きたいと考えると思いますが、今回は特にどのような点に力を入れましたか?

V  一番大きかったのは、アアルトの孫であるヘイッキ・アアルト=アラネンが手紙と8ミリのビデオなど家族の記録を見せてくれたことです。ヘイッキが車で私のオフィスにやってきて、トランクを開けると大きな茶色の箱が積んであり、そこにたくさんの手紙が入っていました。それを映画に使用することを許可してくれたとき、私は「これで映画ができる」と思いました。

実はアルヴァの最初の妻アイノは、ラジオインタビューなどを受けていなかったので、彼女の記録はそれまでほとんどなかったのです。でも、この家族の写真と手紙を手がかりに、アイノのことを知ることができました。

私はこの映画をただ偉大な建築家がいました、というだけの映画にしたくなかった。偉大な建築家としてのアイコンの陰に隠れた彼らの人となりや二人の関係、そういう部分もしっかり描きたかったんです。

アアルトハウスの設計スタジオで共に仕事をするアルヴァとアイノ。1941年

V  アイノとアルヴァはモダンなカップルでもありました。1920年代は、生活全般においてモダンなものが追求されていった時代でもありましたが、二人は1923年にもう飛行機に乗ってハネムーンに行っているんですよ。他にも車に乗ったり、生活に体操を取り入れたり、そうした暮らしが近代化していく様子も手紙には反映されていました。これらの手紙はこの映画の鍵となっているとも言えるでしょう。

それから、私はアイノと、アイノの死後アルヴァの妻になったエリッサがもっと認められるべきだとも考えました。特にアイノについて。というのは、フィンランドにおいてさえも、アイノの役割や貢献はきちんと知られていないんです。「アアルト」の仕事の文法みたいなものは、アルヴァとアイノが互いに協力し合って作り上げたものだと強調したいと思います。

アイノとアルヴァは互いに深く尊敬し合い、
互いに深く必要とし合っていました。
二人の間には美しい愛があったと思います。

新婚旅行中のアルヴァとアイノ。ウィーンにて1924年

――手紙を通して、アイノとアルヴァの関係も掘り下げられていましたね。才能ある二人が、共に「アアルト」の作品を作り上げたことがわかります。二人の関係にはやや特殊な面も見受けられますね。手紙からは、誠実なアイノが、アルヴァの奔放な面に苦悩していたこともうかがえます。アイノは「自分は幸せだ」とアルヴァへの手紙に書いていますね。それはある意味真実だとは思いますが、同時にアイノの心の痛みも感じられ、複雑な気持ちになりました。

V  手紙を読む限り、アイノは深い孤独を感じていたことがわかります。アイノはきっと、アルヴァの外交的で、ボヘミアン的な部分、少しナルシストなところもありましたけど――、そういう部分に魅力を感じ、惹かれたのだと思います。でも、結婚してそれが実際の生活になると、彼女が恋したその同じ部分に苦しんだのではないでしょうか。

アルヴァは出張やアメリカのMIT(マサチューセッツ工科大学)で教えるために、何ヶ月も不在にしましたが、アイノはその間10代の子どもたちと家に残り、アルテックを経営しました。ちょうどその頃1940年代は戦争も始まったりして、とても困難で大変な時代だったと思います。

手紙の中で、彼女はいつも自分のことを責めています。「自分はもっと大局的に物事を見なければいけない」「あなたみたいにもっとオープンにならなくては」「もっといい人間にならなければ」と。でも、彼女が感じている孤独の原因はアルヴァにあったわけで、それを考えると悲しい気持ちになります。

ただ、誰かの結婚について他人が外側からどうこう言えるものではありませんよね。内実は複雑なものです。だから私が何か言える立場にはないのですが、その頃の二人の手紙の行間からは、アンバランスなものを感じたことは確かです。

一方、アルヴァの方も彼女がそう感じているのはどこかで気づいていたのではないでしょうか。私の胸を打ったのは、アルヴァの方も後年罪悪感を感じていたことです。1949年にアイノが乳がんで亡くなると、アルヴァは激しく落ち込むのです。

アイノが生きていた最後の頃の手紙には、二人が結婚した最初の頃、共に仕事を始めたその頃に戻りたい、と繰り返し書かれています。「あのときの二人にもう一度戻りたい」と。彼女はその時代にいつも焦がれていたのです。

それでもアイノとアルヴァは互いを深く尊敬し合い、互いに必要とし合っていました。二人の間には美しい愛があったと私は思います。

――アイノが仕事をしながら家のことも一任され、その苦労もたたってか早くに亡くなってしまったことに胸が痛みます。現代だったらどうでしょう。時代性も感じます。

V  彼らには料理人はいましたし、子どもの面倒を見る人たちもいました。ただ、今から100年も前に女性が建築家になり、アルテックのアートディレクターもインテリアデザインも手がけ、母親でもあったのですよ! 驚くべきことですよね。さらには戦争も始まっていたということを考えると、アイノは本当に今の女性にとっても素晴らしいロールモデルになると思います。

<後編>では、映画のサウンドに取り入れた驚きの手法や、アイノ亡き後にアルヴァを支えたエリッサについてなどお聞きします。後編はこちらから >>

邦題:アアルト  

原題:AALTO

監督:ヴィルピ・スータリ(Virpi Suutari)

制作:2020年 配給:ドマ 宣伝:VALERIA

後援:フィンランド大使館、フィンランドセンター、公益社団法人日本建築家協会 協力:アルテック、イッタラ

2020年/フィンランド/103分/(C)Aalto Family (C)FI 2020 – Euphoria Film  

公式HP:aaltofilm.com

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