Illustration by Asako Aratani
第3回 テルヒ・エーケボムさん
インタビューを終えて、kukkameriの二人がそれぞれ感じたことを言葉と絵で表現します。
“「名前を書く」ということ”
内山さつき
今回テルヒさんへのインタビューの前に、フィンランド語の通訳をしてくださった奥田ライヤ先生(私たちkukkameriのフィンランド語の先生でもあります)と、少しお話する時間がありました。そこで聞いたライヤ先生の言葉が、その後もずっと心に残り続けています。
「絵本の中で、おばけの子どもが『ずっとまえから がっこうにいきたかったの』って言うところがあるでしょう? それ、本当によくわかるのよ。小さい子どもにとっては学校に行くって、すごく特別なことなんだよね。そこからはじめて新しい世界が開かれるってことだから……」
ライヤ先生には小さなお孫さんがいらっしゃるので、きっと愛らしいその子のことを思いながらおっしゃったのだろうなと思ったのと同時に、もう何十年も忘れていた自分の幼い頃の記憶も突然鮮やかに甦って、そのことに自分でも驚きました。
新しいランドセルに新しい教科書、買ったばかりの筆箱に、下ろしたての鉛筆。小学校に上がるときは自分の名前をたくさん書く、初めての機会でもあったような気がします。あの、みずみずしくて弾むような嬉しい気持ち。その中にはきっと、「知ることができる」という喜びも含まれていたのではないかと思います。なぜ花は咲くのか、なぜ雨は降るのか。この世界に名付けられている、たくさんの名前。そして自分の名前と、それに連なる「私とは誰か」という根源的な問い。幼いながらになぜ、どうして、知りたい、と思ってきたことへの答えの一端に、もしかしたら触れられるかもしれないという期待に、子どもの私は胸を膨らませていたのだと思います。
でも、あの小さなおばけの子どもの、その願いと期待は叶えられず、彼女(たぶん女の子?)は、主人公の女性に出会うまでずっと暗い森をさまよっていました。そう思うと、あのおばけの子どもがよりいっそう、いじらしくけなげに感じられました。絵本の中で少しずつ時を重ねて、自分がずっと学校に行きたいと思っていたこと、そして「自分とは誰なのか」を思い出すことができたおばけの子。ライヤ先生の言葉のおかげで、最後彼女が名前を書こうとするシーンにテルヒさんが込めた想いの深さを、私は気づくことができたように思います。
“旅するときも作品と一緒に”
新谷麻佐子
テルヒさんの作品に出会ったのは、2023年4月22日、東京・神保町にある「ブックハウスカフェ」。テルヒさんと写真家の川内倫子さんによる、『おばけのこ』出版記念のトークショーでした。ブックハウスカフェには、仕事で大変お世話になっている、大好きな書店員さんがいて、その方のおかげで、これまでたくさんの素晴らしい絵本に出会ってきました。その書店員さんから「今度フィンランドの作家さんのトークショーがありますよ」と教えていただき、期待に胸を膨らませ、駆けつけました。
作品のファーストインプレッションは、色数をおさえ、テキストも少ない、とても静かな物語。けれども、まるで映像作品のように、1コマ1コマ、登場人物たちのモーションを、心の動きを描き出します。
それゆえ、同じ背景の場面が何ページも続くことが度々あり、それを1枚1枚丁寧に描きこんでいることに驚きました。現代の作家の多くが、デジタルメディアを駆使する時代。同じ場面なら、コピー&ペーストをすることもできますが(ネガティブな意味ではなく、創作にメリハリをつけ、作品のクオリティを保てるという意味でも)、テルヒさんは1枚1枚すべて描いているのです。しかも、テルヒさんが描く森や家のインテリアは、素敵な模様がたくさん描き込まれているにも関わらず。
同じように絵を描く者として、もう1つどうしても気になったことがあります。それはどの場面にもフレームがついていること。家族や友人から離れ、ひとりの時間を過ごしている主人公の女の子の時間をのぞかせてもらっているような不思議な感覚でした。インタビューではその理由を聞くことができ、想像していた以上に深い意味を持っていて、感銘を受けました。
そして、トークショーで一番印象に残ったのは、『おばけのこ』はアトリエでの制作にとどまらず、電車やバスに乗っているときや、旅先にも連れて行き、さまざまな場所で、およそ2年の月日をかけて、描いたということ。作品とともに生き、作品を育て、作品とともに自身も成長する。テルヒさんがアーティストとして素晴らしいのはもちろん、とても人間味を感じるエピソードで、心が温かくなりました。